2020年1月26日に東京府中市の日本国際跆拳道協会 本部道場にて第76回昇段審査会が行われ、朴武館から新たに4名の師範が誕生しました。(内1名は現在小倉道場所属)
二十年以上の修練を経て師範に任命された金和主師範(三重鈴鹿道場)に師範への道のりや今後の抱負を聞きました。

金和主師範(三重鈴鹿道場)

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師範に任命された時の率直な気持ちをお聞かせ下さい

技術面ではもちろんですが精神面でも模範にならなければならない為、師範という名に恥じないような人物にならなければと気を引き締めました。

2012年7月28日 鈴鹿道場第2回稽古

師範になるまでの道のりで最も困難だったことはなんですか?

遠方にいるため師範から教わる機会が少なく、動作やトゥル(型)において間違った解釈をする事が多かったため、クセを治すのに苦労しました。

その困難な事をどのように乗り越えましたか?

新幹線でファラン朴武館本部道場まで通い稽古を受けました。
その際、具体的に様々な事を指摘頂いた事がきっかけとなり、計画的に色々な師範方に様々な視点から自分の動作を見ていただくことで修正を重ね、乗り越えらることが出来ました。

新幹線で戸田道場に通い稽古を行った
梅田達哉師範から指導を受ける

これからの師範としての抱負や目標を聞かせて下さい。

準備期間も終わり、今まで計画してきた事を実行する時期になりました。
三重県で正統テコンドーという素晴らしい文化を沢山の人に広めれるよう、日々、精進します。

指導する鈴鹿道場

朴禎賢師賢コメント

金和主師範!
4段昇段および「跆拳道師範」の任命おめでとうございます。

金和主師範は、1996年大学跆拳道界のパイオニアであった朝鮮大学跆拳道部に入部しました。大学4年で有段者となり、2000年に名古屋道場、2012年には地元の三重県鈴鹿市で鈴鹿道場を開設し、その努力とリーダーシップ、指導者としての人間性が認められ、四〇歳を越えて「師範」に任命されました。
指導者として一流になったのです。

私自身もそうでありましたが、「師範」になった事は、人生飛躍の大きな契機になるはずです。
競技大会などで勝つ事は、自分の力次第で叶うものですが、師範の任命は、自分の力でなるものではありません。
周囲から「その人に資格あり」と認めてもらって任命を受けるからであります。
この度、師範になった事で心身共に大きく成長して欲しいと思います。

指導者は、稽古生を教える事によって、自分自身が学んで行くものであります。

跆拳道とは?
生きるとは?
人生とは?

このような哲学的な命題にまで自分自身の心と向き合い、考え悩み、指導者として成長して欲しいです。

和主師範の持ち前は、なんと言っても、
「継続する力」
「根気」
「根性」
です。

1996年大学監督であった私が、1年生で白帯の金和主師範と出会った時から四半世紀二十五年の時間がいつの間にか過ぎました。

これから先、何十年もの跆拳道修行の中、人生の中で楽しいこと、嬉しい事がたくさんあると思います。また辛く厳しい事が無いといいのですが、そういう訳にはならない時があります。
厳しい状況になった時は、何を基準に乗り越えますか?

それは、初心だと思います。
白帯の頃の初心は何であったか?
自身が跆拳道をする意味は何なのか?
自分の基準は何なのか?
を考える事です。

常に初心に立ち返り、さらに、目標にぶれず邁進する事でクリアして下さい。
決して避けずに。

今日まで25年間跆拳道を修錬してきたその時間は、誰にでも真似が出来る事ではありません。その時間は人生で尊いものです。

今後も朴武館で
共に稽古し、
共に学び、
共に跆拳道の道を
歩んで参りましょう。

鈴鹿道場の発展と金和主師範の武道人としての大成を心から祈っています。

師範おめでとう。

次にぜひ師賢を目指して欲しいです。

朴禎賢

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