追 悼
チャン・ウン 総裁を偲ぶ

張雄IOC委員/ITF2代目総裁

Chang Ung — IOC委員・国際テコンドー連盟第二代総裁
1938年7月5日(平壌生)— 2026年3月29日逝去 享年87歳

跆拳道創始者 崔泓煕将軍の遺志を受け継ぎ、二代目総裁に就任され、世界の正統跆拳道をリードされた偉大な張雄(Chang Ung・チャン・ウン)名誉総裁の突然の訃報に接し、国際跆拳道連盟(ITF)七段・師賢・直接任命を受けたITF競技委員として、また長年にわたり正統跆拳道の普及と発展に携わってきた者として、謹んで哀悼の意を表します。

張総裁は、私の武道人生において生涯忘れることのできない、かけがえのない存在でありました。
ここに、張総裁の軌跡を辿り、謹んでお偲び申し上げます。

■ 2005年 プラハ(チェコ)Paraha,Czech Republic
― はじめての出会い

プラハで行われたITF会議・国際審判員講習会が開催され、黄進首席師賢の薦めにより、私は初めて講習会に参加する機会をいただきました。

朝食時、偶然にも張総裁と同じテーブルになり、談笑の時間がありました。
張総裁は長野オリンピックでの思い出話をしてくださいました。

「私はIOC委員として日本に何度か訪れましたが、1998年長野オリンピック開催時には数日間滞在しました。大自然の澄んだ空気、朝は小鳥たちのさえずりで目を覚ましました。
何より、長野の人たちの心温まる「おもてなし」は、今でも最高の思い出でとして心に刻まれています。黄進師賢、朴師範、次は跆拳道の大会で日本に行ける日を楽しみにしています。」

チェコ プラハでの
ITF理事会、国際審判員講習会

■ 2008年 タシケント(ウズベキスタン) Tashkent,Uzbekistan
― 生涯忘れ得ぬ喝采

第8回世界ジュニアテコンドー選手権大会の開会式において、私は張雄総裁、アジア連盟役員と国際審判員の御前でトンイル(統一)トゥルと試し割りの演武を披露いたしました。
私にとって、跆拳道世界の檜舞台での初演武でありました。

演武が終わった瞬間、張総裁は誰よりも先に立ち上がられ、「日本跆拳道の朴禎賢師範!よくやった!」と大きな声で叫んでくださいました。
そして満面の笑みで大きく手を振ってくださったのです。
会場からも割れんばかりの拍手喝采をいただきました。あの瞬間の光景は、長年跆拳道を修錬してきた私にとって、生涯忘れることができません。

2008年ITF競技委員が張総裁より任命された。
(ロシアサンクトペテルブルク)
(左からルーニー師賢(スコットランド)、金応哲競技委員長(ブルガリア)、張雄総裁、朴禎賢師範)

■ 2010年 ミンスク(ベラルーシ) Minsk,Belarus
― 跆拳道精神の体現

第9回ジュニア・第4回ベテラン世界跆拳道選手権大会において、私はITF競技委員として選手登録を担当しておりました。
大会開催二日前、モンゴル選手団20名がウランバートルからミンスクまでの約6,400キロをバスで10日間かけて移動し、途中で道を間違えて500キロを引き返すという事態が起こり、夜10時を過ぎての到着となり、選手登録が締め切られてしまいました。

「正統跆拳道の世界選手権大会は、全世界の跆拳道人が友好と親善・連帯感を深め、世界の平和を目指す場であるべきです。どうかモンゴルチームを特別措置で参加させてあげてください。」と張総裁と金応哲ITF競技委員長に直接訴えました。

張総裁は私の言葉を受け入れてくださいました。
翌日、金応哲ITF競技委員長から「張総裁が朴師範の話を聞いて、”跆拳道の指導者は世界の選手たちを大切に心が大切だ!朴師範のように献身すべきだ!”とおっしゃっていたぞ!」と伝えてくださいました。

この出来事を通じて私は、真の跆拳道精神は、「人を助け、人を大切にする心」がここにあると深く実感しました。
これは、人を大切にしてゆく私の「考え方の基準」となってゆきました。

張雄総裁より
最優秀審判員
受賞

■ 2011年7月15日 東京(日本)Tokyo,Japan グランドプリンスホテル新高輪
-IOC委員の張雄総裁、国境を越え国際スポ-ツの舞台で揺るがぬ信条

日本体育協会・日本オリンピック委員会創立100周年記念祝賀会に招待された張雄総裁が来日されました。私と黄秀一師範、朴禎祐師範は、張雄総裁に会う為、ホテルに向かわれた黄進師聖に帯同し参加致しました。

張総裁は日本オリンピック委員会(JOC)竹田恆和会長に私たちをひとりひとり丁寧に紹介してくださり、「跆拳道の事で何かあったら竹田会長に相談してください」とお言葉をくださいました。

世界のIOC委員の方々が多数参加している祝賀会でも、190センチの長身でひときわ背が高く目立っておられ、世界IOC委員の友人たちと次期オリンピックの開催地や、競技種目の入出制定の議論のほか、スポーツ界の未来ついて各国の事情を踏まえユーモアを交えて、堂々と気さくに語られている姿から、国際スポーツ人・国際文化人としての張総裁の人間的な深みと、スポーツを通じての国際友好親善、平和を信条とされる揺るぎない人間性を学びました。

■ 2011年 平壌(朝鮮) Pyongyang,DPR Korea
― 公平公正とは何か

2011年9月、第17回世界跆拳道選手権大会が平壌で開催されました。
しかし、この世界大会には、国際情勢の影響により、日本選手たちの派遣は叶いませんでした。
多くの実力ある跆拳道選手たちは、とても苦い思いをしました。
しかし、ITF競技委員の私と、ITF技術委員の黄秀一師範は、大会組織委員会のメンバ―として参加することになり、運営と審判を任されました。
大会の開催前日、張総裁は競技委員の私たちを呼び寄せ、選手の計量、登録は必ず複数人で行うことを、断固とした姿勢で強くご指導されました。「公正公平とは、いかになさなければならないか。」という事を身をもって教えていただきました。

張雄総裁の配慮により、メダル授与の大役を務める。

2012年 タリン(エストニア) Tallinn, Estonia
祝❗️張雄総裁が黄進首席師賢を九段師聖に任命。

エストニア タリンの国立劇場で開催されたITF第22回総会で師匠黄進首席師賢が跆拳道最高段位の9段に昇段され、「師聖」に任命されました。

日本の跆拳道は、1982年 モランボン・テコンドー府中道場がさくらサンリバーに新設、1983年全鎮植初代会長より「日本国際テコンドー協会(ITF-JAPAN)」が設立され、日本跆拳道の黎明期となりました。
設立以来三十年、師匠黄進師聖が初の九段に昇段された事は、私にとってもこの上ない喜びであり、幸せであります。

張雄総裁が黄進師聖に「ITF九段師聖」授与(2012年)

■ 2014年 ドゥシャンベ(タジキスタン) Dushanbe,Tajikistan
― 父のような温かさ・武道の心は世界の平和。

第11回世界ジュニア・ベテラン選手権大会では、チャン・ウン総裁は選手たちが宿泊するホテルを自らご訪問されました。
「選手たちの健康状態はいかがですか?」
「ホテルの施設は大丈夫ですか?」
「食事は口に合っていますか」と、一人ひとりの状況を丁寧に気にかけておられました。

私は30年数間、数多くの世界選手権大会に参加し出場して参りましたが、世界のトップに立つ総裁自らが選手のホテル村を訪れ、健康状態まで心配して回られる方を、ほかに見たことがありません。
総裁はまさに、父のように温かく、選手一人ひとりを大切にされる方でした。

また、日本選手団は、大会期間中に実行委員会を通じて、日本大使館を訪問する機会を頂きました。
在タジキスタン日本大使は、日本選手団団長、監督、コーチを暖かく迎えて下さり、競技期間中に応援をしてくださる事を約束して下さいました。

その約束通り、大使は試合会場に足を運んで下さり、日本選手団を応援してくださいました。
私は大使の横に座って、競技の解説をしていたところ、日本選手と朝鮮選手の対戦となりました。

朴「次は日本の選手と北朝鮮の選手との対戦です。」
大使「朴師範、どうですか?日本選手は勝てますか?」
朴「試合はやってみなければわかりませんが、北朝鮮の選手は前回優勝した実績もあり、厳しい戦いになると思います。しかし、跆拳道は、日本の柔道、剣道、合気道、空手道と同じ精神を大切にする武道です。競技の勝敗を越えて、試合後には互いに敬い握手をして、称え合います。われわれは、世界の友好親善と平和を目指しています。」

張総裁は、私を呼び寄せ、「日本大使を本部来賓席に招いて一緒に観戦していただきたい。」とおっしゃり、その後、歓談されました。
大使は会場で日本チームと記念写真を撮って下さり、その夜、日本チームの好成績の労をねぎらい、晩餐会を主催し、招待してくださいました。

日本を離れ、海外の世界大会で日本大使が晩餐会を催してくださったのは、日本跆拳道の歴史で、初めての事でした。

ここでも、張雄総裁の日本跆拳道の暖かい応援があったと実感しています。

また、ITF第24回総会では、張雄総裁が朴禎賢師範、黄秀一師範へ「ITF功労賞(ITF Outstanding Instructor Award / Special Award)」を授与されました。

日本選手団、日本大使と記念写真 
ドゥシャンベ タジキスタン

■ 2023年 USA 
桓武道(ハンムド-)創始者 金ヒヨン博士への手紙に込められた人間愛

ハンムド創始者・金ヒヨン博士(アメリカ)へ張総裁が宛てた手紙の言葉に、張総裁の人への温もりと人間愛、歴史への洞察力に深く感銘を受けました。

2024年に発刊されたハンムドー創始者 金ヒヨン先生が綴った武道人生の大著「KIMM」
(855ページ)

「・・・前略・・・
本を読む人は、本を読むのが簡単なので、いつも本を読むときにその本を書く人についてあまり考えないことが常例です。
しかし、金ヒヨン博士が書いたこの本は単に本というにはあまりにも残念で、むしろ我が国の武道の先祖から今日までを合わせる「博物館」といえば合うように思います。
国際テコンドー連盟にいる多くの高段者たちがこの本を見ながら跆拳道の過去を見据えて、今日を反省し、明日を予測し、喜びと苦悩をキム博士と共に分かち合っています。
人間が短い生涯にこういう本を出すというのはそれほど簡単なことではなく、しかも朝鮮韓民族の五千年の歴史すべてが、複雑な政治環境と、不断の葛藤の記録であるため、この中に埋もれている武道と跆拳道を誰もが容認できる客観的な視点から描き出すということは、とても難しく辛いことであったと察します。」

張雄総裁からハンムドー金ヒヨン先生への手紙
金ヒヨン先生はチェホンヒ総裁より、「ITF顧問」に任命されました。

さいごに

張雄総裁

国際跆拳道連盟ITFの第二代総裁として、そして朝鮮を代表するIOC委員として、あなたはその87年の生涯を、跆拳道の普及と発展、そして朝鮮半島の平和と融和のために捧げられました。

2000年シドニーオリンピック、2018年平昌冬季オリンピックでの南北合同入場行進、そしてWT・ITF間の歴史的な覚書締結——いずれも、張総裁の不屈の信念と人を思う温かな心があってこそ実現したものと確信しております。

IOC総会開会式終了後、握手
(左から)韓国の金雲竜理事、サマランチ会長、北朝鮮の張雄委員=2000年9月10日、

IOC会長クリスティー・コヴェントリー氏は「チャン・ウン氏はその生涯をスポーツとオリンピックムーブメントに捧げた」と述べられました。これほどまでに国際スポーツ界に惜しまれる総裁のもとで研鑽を積み、直接お言葉とお心をいただけたことは、私の生涯の誇りであります。

張総裁、私はITF競技委員として、ATF理事として、そして日本で正統跆拳道を愛し、修錬するひとりの跆拳道人として、張総裁が創始者崔泓熙先生より受け継がれた、正統跆拳道の技術と精神、理念を守り、次世代へ継承し、発展させ続けることをここに誓います。

世界大会で教えてくださった父のような温かいお姿——これらすべてを生涯の宝として胸に抱き、正統跆拳道の技と心を次の世代へと継承してまいります。

張雄総裁のご遺志は、世界中の正統跆拳道修錬者の心の中に永遠に生き続けることでしょう。
どうか安らかにお眠りください。

令和八年(2026年)四月
国際テコンドー連盟(ITF)七段・師賢 競技委員
アジア跆拳道連盟(ATF)理事
日本国際テコンドー協会 審査委員
正統跆拳道ファラン朴武館 名誉会長・最高技術顧問
朴 禎賢(PAK CHONG HYON)

国連
パンギムン事務総長と
IOCロゲ会長、ITF張雄総裁、WFチョウ総裁が合意文締結。
2012年 ITF総会を進行される張雄総裁。
強い推進力で世界をリードされた。(エストニア タリン)
日朝スポーツ関係者主催のプロレス大会実行委員長の張雄総裁。
訪朝し平壌で記者会見するアントニオ猪木参院議員(手前右から2人目)と北朝鮮の張雄国際オリンピック(IOC)委員(手前右端)。
2014年8月28日(朝鮮中央通信=共同)
2017年6月
韓国・茂朱で
IOCバッハ会長(右)と張雄総裁

【 正統跆拳道と張雄名誉総裁 年表 】

1918年11月9日崔泓熙総裁が朝鮮咸境北道(ハムギョンプット)でご出生
1938年7月5日張雄先生が平安南道・平壌(ピョンヤン)でご出生
1955年4月11日崔泓熙総裁が名称制定委員会において「跆拳道」の名称を提唱
1956年〜1967年バスケットボール国家選手・キャプテンとして活躍
1968年(30歳)バスケットボールコーチに就任
1970年(32歳)体育教員として勤務
1974年(36歳)体育指導部に就職
1985年6月(47歳)朝鮮オリンピック委員会(DPR-KOREA)書記長に就任
1991年(53歳)千葉世界卓球選手権大会(幕張メッセ)のコリア南北単一チーム実務委員会 北朝鮮側委員長として単一チーム結成に大きく貢献
1992年4月(54歳)広島で開催されたアジアオリンピック委員会(OCA)総会で「副会長」に就任
1996年7月(58歳)アトランタIOC総会にて「IOC委員」に選出。以後20年間、朝鮮唯一の委員として活躍
1998年(60歳)長野冬季オリンピック(第18回冬季競技大会)にIOC委員として参加
2000年(62歳)シドニーオリンピックにて南北合同入場行進が実現
2002年(64歳)跆拳道創始者・崔泓熙初代総裁がご逝去。ITF第二代総裁に就任し、組織の維持と普及をリード
2005年2月(67歳)プラハ(チェコ)にてITF会議・国際審判員講習会開催。朴禎賢師範が初参加
2008年(70歳)ウズベキスタン・タシケントにて第8回ジュニア・第3回ベテラン世界跆拳道選手権大会開催。朴禎賢師範が張総裁御前でトンイルトゥルと試し割りを演武。 朴禎賢師範をITF競技委員に任命。
2009年(71歳)ロシア・サンクトペテルブルグでの第16回世界跆拳道選手権大会にて、朴禎賢師範に「世界大会最優秀審判員」を授与。
2010年(72歳)ベラルーシ・ミンスクにて第9回ジュニア・第4回ベテラン世界跆拳道選手権大会開催。モンゴル選手団への特別措置に尽力
2011年7月15日(73歳)グランドプリンスホテル新高輪(東京)にて日本体育協会・JOC創立100周年記念会に出席
2011年9月(73歳)平壌(朝鮮)にて第17回世界跆拳道選手権大会開催。競技の公正公平を徹底指導
2012年(74歳)エストニア・タリンにて第10回ジュニア・第5回ベテラン世界跆拳道選手権大会開催。
2014年(76歳)タジキスタン・ドゥシャンベにて第11回ジュニア・第6回ベテラン世界跆拳道選手権大会開催。選手宿舎を自ら訪問し選手の健康状態を気にかける。 第24回ITF総会で張雄総裁が朴禎賢師範、黄秀一師範へ「ITF功労賞(ITF Outstanding Instructor Award / Special Award)」を授与
2015年8月(77歳)ブルガリア(プロブディフ)で開催された第25回ITF総会で、第2代総裁の張雄総裁の後任として、李勇鮮(リ・ヨンソン)総裁3代目総裁が選出。 張雄総裁は、終身ITF名誉総裁に推挙される。 日本国際テコンドー協会 黄進(ファン・ジン)理事長が9段師聖(サソン)の昇段承認。
2018年(80歳)平昌冬季オリンピックにて南北合同入場行進が実現
2019年(81歳)「満80歳定年」規定によりIOC委員職を辞職 スイス ロージャンヌでのIOC第134回総会で「IOC名誉委員」に選出
2023年10月(84歳)インド・ムンバイにて開催された第141回IOC総会で「オリンピック勲章(功労章)」を受賞。南北スポーツ交流への長年の貢献が認められる
2025年10月(86歳)イタリア・イエーゾロで開催された、跆拳道創立70周年記念総会で、3代目李勇鮮(リ・ヨンソン)総裁、
「ITF特別功労賞」を日本の黄進師聖、朴禎賢師賢へ授与。
2026年3月29日(87歳)ご逝去。享年87歳。IOCは「オリンピック開会式の南北共同入場などを通じてスポーツが持つ統合の力を象徴的に示した」と追悼

令和八年(2026年)四月
朴 禎賢(PAK CHONG HYON)謹記